みぐぞうの後ろ向き日記
80年代オタクカルチャーを自己流で考察したりする後ろ向きな人。
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2009-08-29 00:01 |
カテゴリ:日記
※今日のおじさんはちょっぴり怒っています。ですので普段より毒多め。
いきなり自分語りで恐縮ですが、わたくしがインターネットを始めたのは、今から10年ちょい前の1998年の事でした。ちなみにネットサーフィンに使ったマシンはセガのゲーム機ドリームキャスト。

ドリキャス専用キーボードも発売されていない時だったので、url入力及びメールのやりとり・掲示板への書き込みにもドリキャスパッドで行うという、今から考えるとその不便ぶりは苦行以外の何者でも無かったのですが、自室に居ながら広大な世界へ繋がる興奮に酔いしれておりました。エロサイトはブロックされまくりでしたが 。
ちなみに回線はダイヤルアップだったので、ネットサーフィンとメールチェックしか行っていないのに月末に届いた電話料金の請求額が5万円オーバー。本気で親に怒られました。
それに懲りたわたくしは夏のボーナスをブチ込んでPCを買い、ついでにISDN回線を引いて心置きなくインターネッツにどっぷりハマって現在に至るんですが 、実はわたくしのネット暦と2ちゃんねる暦は、ほぼ同じだったりするのです。
といいますのも、わたくしが当時毎日のように訪問していた大人気ゲーム系テキストサイト「A_Prompt」と、当時「電波系日記風ミステリー小説」として大注目されていた「絶望の世界」が「この二つのサイト、実は作者が同じで、読者を弄んで悦に入っている!abcはとんでもない奴だ!」 と、「2ちゃんねる」のネットウォッチ板住人に疑われた挙句、サイトに突撃されるという事件が勃発していたからなのでした 。
そんなデンパの言い掛かりにも等しい突撃を喰らったabc氏は激怒。以後しばらくに渡って凄まじいバトルが繰り広げられたのでありました。
ちなみに結論から言うと「A_Prompt」の管理人・abc氏と「絶望の世界」の作者・岩本亮平(仮)氏は全くの別人であり、そのとばっちりを喰らったabc氏はすったもんだの末に「A_Prompt 」を閉鎖。
そして常駐サイトを失ってしまったわたくしは、ABC監視スレからの流れで当時まだアングラサイトとしての危険な香りに惹かれて「2ちゃんねる 」に常駐する事となったのでした。
とは言え、わたくしはレトロゲームや古いアニメの話題で盛り上がったり、アスキーアート職人の真似事をしていた程度で、政治談議などは知識不足もあっ てもっぱらロム専だったのですが。
※わたくしがAA職人をしていた頃の「イリアさん」スレッドの保管庫がありました。(ここ)今だ から言いますが、「コ々ノレ」のコテハンでネタを書いていたのは実はわたくしだったりします。

さて、わたくしが一般のホームページによる交流よりも2ちゃんねるに常駐したかと言いますと、個人的な感想でアレですがインターネット黎明期によくあった個人のホームページでは「権威主義」や「建前だけの奇麗事」がまかり通っていたのが肌に合わなかったからなのです。
具体例を挙げますと、例えば「ある事件でメディアは加害者側の主張しか流していないが、これはおかしいんじゃないか。何で被害者の意見を報道しないんだ」という事を個人ホームページの掲示板で唱えたとしますね。
そうすると返って来るのは「良く解らないけど、大学の教授やテレビのキャスターが言っているから間違いないでしょ?」とか「そんな事にムキにならなく てもいいでしょ。色んな考えがあっていいじゃない」という、権威主義や価値相対主義が蔓延していて議論が成立せず、ひどい時にはホームページの主催者 と取り巻きによって「うちらの価値観と違う奴は問答無用で荒らし確定」という閉鎖的な空気が蔓延していたと思うんですよ。
現在でも「タブー無し」を売りとする「たかじんのそこまで言って委員会」の公式掲示板ですら、語ってはいけない事柄は管理人の一存で検閲されていたりするのですから。
そんな閉鎖的な空間よりも、言葉は汚いものの本音をぶつけ合う「2ちゃんねる」は、そんなやさぐれたわたくしにとって水が合ったのかなあと思い返すのですが。
初期の2ちゃんねるは現在よりも幼稚な罵倒や意味不明の罵詈雑言飛び交うネットの吹き溜まりでしたが、そんな「草木も生えない荒れ果てた荒野でも、そこ を耕して何とか作物を育てよう」という良識を持つ2ちゃんねらー達の交流によって、ほとんどの板ではそれなりの秩序が保たれ、ディープな知識の交換や政治議論が交わされる事となりました。
特に「マスコミ板」でネットが普及する以前は言論界に於いて主流派を占めていた「反日自虐史観」の旗振り役だった朝日新聞に代表される左派メディアの嘘・虚構を、バサバサと論破していくのは大変痛快なものでした。
そして「マスコミ板」と同時にわたくしが常駐し始めたのは、2001年のアメリカ同時多発テロの時期に新設された「ニュース速報+」板。
スレッドを立てる人間は運営が選出した「記者」制度によって、厳選された(釣り易いとも言えますが)ニュースを提供。それを見た参加者は思い思いの意見を交わしていくというスタイルが大ヒットし、それ専門のホットニュースを扱う「2NN+」というサイトまで立ち上がるほどの盛況を納めました。
人が増えるという事は荒らしも増えるのが世の流れですが、運営サイドは連投・コピペ荒らし防止の為に120秒書き込み間隔規制、なりすまし・騙りを防止する為のID制導入等の措置を設けて、それなりの秩序を保っておりました。
ところが、2004年前後に現れた「擬古牛」なる記者によって状況は一変。
これがかなりの問題人物でして、基本的な思想が反日・反与党。その偏りっぷりは「北朝鮮の拉致問題は「右翼主義者が集まるから立てない」「そもそも拉致などニュースの価値はない」と言い放ったほど。 それだけならまだしも、自分の偏った思想に沿ってスレッドタイトルを改変する。(外国の高評価で日本がトップの文言を削る・プリンスホテルの部屋貸し出し拒否から日教組の文言を削る、など)民主党ヨイショ・自民叩きの同一ソースで一日に10も20も類似スレッドを立てるという狂いっぷり。
その余りの行動のひどさに国際ニュース+板、biz+板からは記者キャップを剥奪されるほどでした。
そうやって剥奪や二軍落ちの度に「バッファロー筋飯器」「セクシービーフ」「ランボルギーニちゃん」「うしくん」「うし☆すた」「バッファロー吾郎」「ビーフ」「丑子」「熱愛中@ロボさん大好きうっしー」と記者名をコロコロ変更しては、何食わぬ顔でいつものように偏向したスレッドを現在まで立て続け、ついにはニュース速報+板自体がレッテル貼り・コピペ荒らし・誹謗中傷の飛び交う日本語の崩壊したキチガイ達の独壇場と化してしまいました。
ついでに、朝日新聞社員が2ちゃんねるに対して荒らし行為を行い、asahi-np.co.jpのホストを規制した途端に「ネトウヨ」「アホウ」と荒らしていた書き込みがピタリと止んだ事や、2ちゃんねる運営からの情報で「中国と民主党の工作員が利用者増に貢献」という内情を暴露した事を付け加えておきます。
※追記。朝日が規制された途端に荒らしとニュース速報+の閲覧者が激減したのは、わたくしもはっきりと体感しました。
祭りの最中に「このレスにレスした人には、レス番一桁目の人を彼女にできます」にレスして谷亮子ばかりを引き当てたわたくしが言うから、間違いありません。
※参考資料。特定の発言者のIDを抜粋してくれた人がいました。↓
http://hissi.org/read.php/newsplus/20090826/TjIwMk5lQlQw.html
http://hissi.org/read.php/newsplus/20090826/eGtyWWpYYkww.html
http://hissi.org/read.php/newsplus/20090826/ME1YcGlJUm4w.html
そんな荒みきった状況にうんざりしたニュース速報+板住人有志は、何度もIPの強制表示を運営にお願いしますが、運営は対処せず。ついには有志が書き込む者時に自主的にIPを晒す「裸祭り」を決行しますが、逆に「ネトウヨどものIP収集出来てメシウマwwww」と煽られ、全く効果がありませんでした。
ましてや、ニュース速報+を統括する編集長の「たもん」に至っては、事態を改善するどころか
選挙戦が始まりましたが、各政党の関係者の皆さん
あらいぎまちゃんに賄賂などがございましたら遠慮無くお申し出下さい。
工作員を雇うよりよっぽど安上がりです。よろしくお願いします。
金は出さんがこの国賊記者を剥奪しろ、と言う貧乏憂国者が多すぎます。
国を憂うヒマがあったら、勉強しろ。働け。( ゜д゜)ノ
と、開き直った挙句、平然と賄賂を要求する始末。
…繰り返しになりますが、偏向記者や無責任な編集長の手によって、今や無法地帯と化したニュース速報+板。
工作員が跋扈して議論すら成立せず、正視に堪えない罵詈雑言やレッテル貼りが飛び交い、思想の偏向した記者(とすら呼びたくないのですが)が、ニュースとは名ばかりのプロパガンダを撒き散らす。
そして編集長は既得権益欲しさに見て見ぬフリをする。
これって、ネットユーザーが嫌悪してやまない「マスゴミ」そのものじゃないですか。
この腐り切った惨状を見て、設立時から2ちゃんねるに常駐していたわたくしは、何ともやり切れない気持ちで一杯です。
いきなり自分語りで恐縮ですが、わたくしがインターネットを始めたのは、今から10年ちょい前の1998年の事でした。ちなみにネットサーフィンに使ったマシンはセガのゲーム機ドリームキャスト。

ドリキャス専用キーボードも発売されていない時だったので、url入力及びメールのやりとり・掲示板への書き込みにもドリキャスパッドで行うという、今から考えるとその不便ぶりは苦行以外の何者でも無かったのですが、自室に居ながら広大な世界へ繋がる興奮に酔いしれておりました。エロサイトはブロックされまくりでしたが 。
ちなみに回線はダイヤルアップだったので、ネットサーフィンとメールチェックしか行っていないのに月末に届いた電話料金の請求額が5万円オーバー。本気で親に怒られました。
それに懲りたわたくしは夏のボーナスをブチ込んでPCを買い、ついでにISDN回線を引いて心置きなくインターネッツにどっぷりハマって現在に至るんですが 、実はわたくしのネット暦と2ちゃんねる暦は、ほぼ同じだったりするのです。
といいますのも、わたくしが当時毎日のように訪問していた大人気ゲーム系テキストサイト「A_Prompt」と、当時「電波系日記風ミステリー小説」として大注目されていた「絶望の世界」が「この二つのサイト、実は作者が同じで、読者を弄んで悦に入っている!abcはとんでもない奴だ!」 と、「2ちゃんねる」のネットウォッチ板住人に疑われた挙句、サイトに突撃されるという事件が勃発していたからなのでした 。
そんなデンパの言い掛かりにも等しい突撃を喰らったabc氏は激怒。以後しばらくに渡って凄まじいバトルが繰り広げられたのでありました。
ちなみに結論から言うと「A_Prompt」の管理人・abc氏と「絶望の世界」の作者・岩本亮平(仮)氏は全くの別人であり、そのとばっちりを喰らったabc氏はすったもんだの末に「A_Prompt 」を閉鎖。
そして常駐サイトを失ってしまったわたくしは、ABC監視スレからの流れで当時まだアングラサイトとしての危険な香りに惹かれて「2ちゃんねる 」に常駐する事となったのでした。
とは言え、わたくしはレトロゲームや古いアニメの話題で盛り上がったり、アスキーアート職人の真似事をしていた程度で、政治談議などは知識不足もあっ てもっぱらロム専だったのですが。
※わたくしがAA職人をしていた頃の「イリアさん」スレッドの保管庫がありました。(ここ)今だ から言いますが、「コ々ノレ」のコテハンでネタを書いていたのは実はわたくしだったりします。

さて、わたくしが一般のホームページによる交流よりも2ちゃんねるに常駐したかと言いますと、個人的な感想でアレですがインターネット黎明期によくあった個人のホームページでは「権威主義」や「建前だけの奇麗事」がまかり通っていたのが肌に合わなかったからなのです。
具体例を挙げますと、例えば「ある事件でメディアは加害者側の主張しか流していないが、これはおかしいんじゃないか。何で被害者の意見を報道しないんだ」という事を個人ホームページの掲示板で唱えたとしますね。
そうすると返って来るのは「良く解らないけど、大学の教授やテレビのキャスターが言っているから間違いないでしょ?」とか「そんな事にムキにならなく てもいいでしょ。色んな考えがあっていいじゃない」という、権威主義や価値相対主義が蔓延していて議論が成立せず、ひどい時にはホームページの主催者 と取り巻きによって「うちらの価値観と違う奴は問答無用で荒らし確定」という閉鎖的な空気が蔓延していたと思うんですよ。
現在でも「タブー無し」を売りとする「たかじんのそこまで言って委員会」の公式掲示板ですら、語ってはいけない事柄は管理人の一存で検閲されていたりするのですから。
そんな閉鎖的な空間よりも、言葉は汚いものの本音をぶつけ合う「2ちゃんねる」は、そんなやさぐれたわたくしにとって水が合ったのかなあと思い返すのですが。
初期の2ちゃんねるは現在よりも幼稚な罵倒や意味不明の罵詈雑言飛び交うネットの吹き溜まりでしたが、そんな「草木も生えない荒れ果てた荒野でも、そこ を耕して何とか作物を育てよう」という良識を持つ2ちゃんねらー達の交流によって、ほとんどの板ではそれなりの秩序が保たれ、ディープな知識の交換や政治議論が交わされる事となりました。
特に「マスコミ板」でネットが普及する以前は言論界に於いて主流派を占めていた「反日自虐史観」の旗振り役だった朝日新聞に代表される左派メディアの嘘・虚構を、バサバサと論破していくのは大変痛快なものでした。
そして「マスコミ板」と同時にわたくしが常駐し始めたのは、2001年のアメリカ同時多発テロの時期に新設された「ニュース速報+」板。
スレッドを立てる人間は運営が選出した「記者」制度によって、厳選された(釣り易いとも言えますが)ニュースを提供。それを見た参加者は思い思いの意見を交わしていくというスタイルが大ヒットし、それ専門のホットニュースを扱う「2NN+」というサイトまで立ち上がるほどの盛況を納めました。
人が増えるという事は荒らしも増えるのが世の流れですが、運営サイドは連投・コピペ荒らし防止の為に120秒書き込み間隔規制、なりすまし・騙りを防止する為のID制導入等の措置を設けて、それなりの秩序を保っておりました。
ところが、2004年前後に現れた「擬古牛」なる記者によって状況は一変。
これがかなりの問題人物でして、基本的な思想が反日・反与党。その偏りっぷりは「北朝鮮の拉致問題は「右翼主義者が集まるから立てない」「そもそも拉致などニュースの価値はない」と言い放ったほど。 それだけならまだしも、自分の偏った思想に沿ってスレッドタイトルを改変する。(外国の高評価で日本がトップの文言を削る・プリンスホテルの部屋貸し出し拒否から日教組の文言を削る、など)民主党ヨイショ・自民叩きの同一ソースで一日に10も20も類似スレッドを立てるという狂いっぷり。
その余りの行動のひどさに国際ニュース+板、biz+板からは記者キャップを剥奪されるほどでした。
そうやって剥奪や二軍落ちの度に「バッファロー筋飯器」「セクシービーフ」「ランボルギーニちゃん」「うしくん」「うし☆すた」「バッファロー吾郎」「ビーフ」「丑子」「熱愛中@ロボさん大好きうっしー」と記者名をコロコロ変更しては、何食わぬ顔でいつものように偏向したスレッドを現在まで立て続け、ついにはニュース速報+板自体がレッテル貼り・コピペ荒らし・誹謗中傷の飛び交う日本語の崩壊したキチガイ達の独壇場と化してしまいました。
ついでに、朝日新聞社員が2ちゃんねるに対して荒らし行為を行い、asahi-np.co.jpのホストを規制した途端に「ネトウヨ」「アホウ」と荒らしていた書き込みがピタリと止んだ事や、2ちゃんねる運営からの情報で「中国と民主党の工作員が利用者増に貢献」という内情を暴露した事を付け加えておきます。
※追記。朝日が規制された途端に荒らしとニュース速報+の閲覧者が激減したのは、わたくしもはっきりと体感しました。
祭りの最中に「このレスにレスした人には、レス番一桁目の人を彼女にできます」にレスして谷亮子ばかりを引き当てたわたくしが言うから、間違いありません。
※参考資料。特定の発言者のIDを抜粋してくれた人がいました。↓
http://hissi.org/read.php/newsplus/20090826/TjIwMk5lQlQw.html
http://hissi.org/read.php/newsplus/20090826/eGtyWWpYYkww.html
http://hissi.org/read.php/newsplus/20090826/ME1YcGlJUm4w.html
そんな荒みきった状況にうんざりしたニュース速報+板住人有志は、何度もIPの強制表示を運営にお願いしますが、運営は対処せず。ついには有志が書き込む者時に自主的にIPを晒す「裸祭り」を決行しますが、逆に「ネトウヨどものIP収集出来てメシウマwwww」と煽られ、全く効果がありませんでした。
ましてや、ニュース速報+を統括する編集長の「たもん」に至っては、事態を改善するどころか
選挙戦が始まりましたが、各政党の関係者の皆さん
あらいぎまちゃんに賄賂などがございましたら遠慮無くお申し出下さい。
工作員を雇うよりよっぽど安上がりです。よろしくお願いします。
金は出さんがこの国賊記者を剥奪しろ、と言う貧乏憂国者が多すぎます。
国を憂うヒマがあったら、勉強しろ。働け。( ゜д゜)ノ
と、開き直った挙句、平然と賄賂を要求する始末。
…繰り返しになりますが、偏向記者や無責任な編集長の手によって、今や無法地帯と化したニュース速報+板。
工作員が跋扈して議論すら成立せず、正視に堪えない罵詈雑言やレッテル貼りが飛び交い、思想の偏向した記者(とすら呼びたくないのですが)が、ニュースとは名ばかりのプロパガンダを撒き散らす。
そして編集長は既得権益欲しさに見て見ぬフリをする。
これって、ネットユーザーが嫌悪してやまない「マスゴミ」そのものじゃないですか。
この腐り切った惨状を見て、設立時から2ちゃんねるに常駐していたわたくしは、何ともやり切れない気持ちで一杯です。
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2009-08-18 02:46 |
カテゴリ:個人的偏愛ゲーム
今を遡る事13年前の1996年。
「ストリートファイターII」の大ヒットで一時代を築いた2D格闘ゲームのブームも落ち着きを見せ、1993年に発売された「バーチャファイター」、1994年に発売された「バーチャファイター2」が空前の大ヒットを飛ばして、アーケードに於ける格闘ゲームのトレンドも2Dから3Dへの移行の兆しを見せておりました。
とはいえ、わたくし個人は3D格闘ゲームに対して「プレイ料金の高さ」「画面から感じる無機質さ」が苦手でして、当時は2D格闘の「リアルバウト餓狼伝説スペシャル」「サムライスピリッツ・天草降臨」「ストリートファイターZERO2」ばかりを遊んでいた記憶が蘇ります。



そんな中、テクモから発売された3D格闘ゲームが近所のゲームセンターに入荷する噂を聞きつけたわたくしは、「そんな地雷確定のゲームを入荷して、このゲーセン潰れるんじゃないのか」と、当時のゲーム仲間と大変失礼な予想をしておりました。
といいますのも、1980年代中期に「スターフォース」「アルゴスの戦士」「ソロモンの鍵」「ワールドカップ」といった名作ゲームを多々輩出したテクモも、1989年に発売した首チョンパゲーの「ワイルドファング」



メカデザインのダサさと単調かつ大味な内容で「これ何てデコシュー?」というひどい評価を浴びまくった「シルクワーム」(1988年)

を皮切りに、1992年に発売された大コケ続編の「ファイナルスターフォース」と1994年に発売された悪趣味発狂シューティング「エイトフォース」の二大ダークフォースに支配され、当のテクモもかつての栄光はどこへやら、損益分岐点の極めて低いクイズゲームの量産と他社ゲームの代理販売をメインに日銭を稼ぐしょっぱいメーカーにまで落ちぶれていたのでした。
そんなテクモの凋落ぶりを救援しようと、1995年当時「がんばれギンくん」のブッ飛んだセンスに魅了されたわたくしと友人はせっせとにコインを注ぎ込む日々を過ごしておりましたが、絶対にワンコインクリア出来ない前提で作ってある守銭奴チックなゲームバランスもさる事ながら、右上のプレイ評価に「よわむし」「なきむし」はまだしも「喰われろ」と書かれた瞬間にわたくしの中で何かがプツンとはじけました。その瞬間、もうこのメーカーの応援なんてするもんか、と心に誓ったものです。



さてそんな悪い意味での期待を一身に背負った「デッド・オア・アライブ」が入荷したと聞き、「どんなヤバい出来なんだろう」と怖いもの見たさに友達を誘って行き着けのゲームセンターに突撃したわたくしは、我が目を疑う光景を目の当たりにしました。




可愛らしさ・格好良さを見事に表現した柔らか味のあるモデリング。
極めて流麗に動くキャラクター、爽快な打撃音と豊富な必殺技。
凝りに凝ったカメラワークと、それにピッタリとシンクロした熱い音楽。
コンボを叩き込む時はキャラクターを回りこむカメラワークが、勝利したキャラクターが一番映える位置まで一気に寄る。
ズームイン・ズームアウトのカメラワークで一世を風靡した「龍虎の拳」「サムライスピリッツ」でもここまでの表現はハードの性能上実現不可能だったのです。
それまでアーケード・コンシューマー共に主流を占めていた「オブジェクト・フロント・バックグラウンド」の画面構成で表現されていたものが、ポリゴンでも遜色無い表現が出来る。
2D格闘ばかりをプレイしていたわたくしにとって、1996年当時のゲーム暦で15年以上経過したヘビーゲーマーのわたくしでも、デモ画面の時点でこれだけの衝撃を与えた作品はほとんどありませんでした。
そして、それまで他社から発売された「バーチャファイター」「鉄拳」では掛け声や勝利ボイスも控えめだったのに対して、「DOA」の「有名声優を起用したキャラクター達が生き生きと喋る」というのは、それまでどれだけ3D格闘ゲームが頑張っても払拭しきれなかった「無機質さ」「マネキン臭さ」すら解消してしまったのでした。
その衝撃たるや、90年代の間中にベルトスクロールアクションや対戦格闘ゲームという当時の主流ジャンルで何一つ作品を出さずにミニゲーム集やクイズゲームでお茶を濁し続けていたテクモから、突然ここまでのクオリティのソフトが発売された事も含めてそれはそれは凄まじいものがありました。

アーケード版のポスターを見る限り、製品版では登場しないキャラクターが三人中二人もいる事から、発売ギリギリまでクオリティアップとチューニングに時間と技術と情熱を注いだと思われるのですが、ある雑誌内の開発者インタビュー内に於いて「会社の経営がヤバくて、これがコケたら後が無かった。デッド・オア・アライブというのは我々の置かれた状況を表す言葉でもあったんですよ」という言葉にも、そんな「DOA」に賭けるスタッフの熱意が滲み出ていて、いちプレイヤーのわたくしとしては、ただただ平伏するのみなのですが。
話をゲームシステム面に移しますが、本作のシステムは「バーチャファイター」のシステムを踏襲したものでありながら、ホールドボタンとデンジャーゾーンという新システムを盛り込み、「ホールドボタン一発で相手の攻撃を掴む・受け流せる」「デンジャーゾーンでダウンした相手は空中に吹っ飛ぶので、更にコンボを叩き込める」という新たな面白さを盛り込みました。
それまでの3D格闘プレイヤーは「ガードのつもりでホールドボタンを押せばガード+αの見返りが見込める。」2D格闘に慣れたプレイヤーは、「相手と逆方向にレバーを入れればとりあえずガードが出来る」という、どちらのジャンルに慣れたプレイヤーでもすんなりシステムに馴染む事が出来るというのは、物凄く良く出来たシステムだったと思うのですが、いかがでしょうか。
一般的にセクシー表現ばかりが話題になりがちなDOAシリーズですが、きちんとしたゲーム内容ゆえシリーズ化した作品という事を記憶の片隅にでも留めて頂ければ、今回こうやって何日もかけてエントリーを書いた甲斐があるというものなのですが…
個人的な感想で恐縮ですが、それまで3D格闘ゲームをほとんどプレイしていなかったわたくしも、暇さえあれば「デッド・オア・アライブ」をプレイする日々が続き、調子が良い時はかすみ・ティナ・バイマンで1コインクリア出来るまでやり込んだ後も情熱が冷める事は無く、サターン版(しかも限定版)・プレステ版まで購入したものの、アーケード版をどうしても手元に置きたい衝動が抑えられずに基板と24khzモニターまで購入してしまいました。



といいますのも、サターン版も大変良く出来た移植ではあったのですが、オープニングとエンディングが新規に作ったムービーに差し替えられてしまい、オープニングはなかなか素晴らしい出来だったもののエンディングは全キャラ共通のムービー+妙にしんみりしたバラード調の曲という大改悪をされてしまったからなのです。本編のポリゴンキャラクターを使ってOP・EDを魅力的に演出していたゲームだけに、これには相当に失望させられました。



クリアしたキャラクターのテーマソングをバックにテロップでエンディングストーリーを紹介した後、爽快なエンディング曲と共に流されるコンボ集が流れるという凝りに凝ったエンディングも、間違いなくアーケード版DOAの魅力のひとつだったのですから。

何はともあれ家庭用移植も大ヒットし、シリーズも「4」にまで継続するほどの人気シリーズになったDOAシリーズですが、テクモ経営陣と開発スタッフのゴタゴタによってシリーズ最新作の「4」から4年が経過した現在も続編の気配が聞こえて来ないのが残念でなりません。
シリーズのファンとしては、どんな形でも構いませんから、team NINJAの開発した「デッド・オア・アライブ5」が発売される事を祈りつつ、本エントリーを締め括りたいと思います。
…あ、実写版の映画とかは、もう勘弁ですから。



「ストリートファイターII」の大ヒットで一時代を築いた2D格闘ゲームのブームも落ち着きを見せ、1993年に発売された「バーチャファイター」、1994年に発売された「バーチャファイター2」が空前の大ヒットを飛ばして、アーケードに於ける格闘ゲームのトレンドも2Dから3Dへの移行の兆しを見せておりました。

とはいえ、わたくし個人は3D格闘ゲームに対して「プレイ料金の高さ」「画面から感じる無機質さ」が苦手でして、当時は2D格闘の「リアルバウト餓狼伝説スペシャル」「サムライスピリッツ・天草降臨」「ストリートファイターZERO2」ばかりを遊んでいた記憶が蘇ります。



そんな中、テクモから発売された3D格闘ゲームが近所のゲームセンターに入荷する噂を聞きつけたわたくしは、「そんな地雷確定のゲームを入荷して、このゲーセン潰れるんじゃないのか」と、当時のゲーム仲間と大変失礼な予想をしておりました。
といいますのも、1980年代中期に「スターフォース」「アルゴスの戦士」「ソロモンの鍵」「ワールドカップ」といった名作ゲームを多々輩出したテクモも、1989年に発売した首チョンパゲーの「ワイルドファング」



メカデザインのダサさと単調かつ大味な内容で「これ何てデコシュー?」というひどい評価を浴びまくった「シルクワーム」(1988年)

を皮切りに、1992年に発売された大コケ続編の「ファイナルスターフォース」と1994年に発売された悪趣味発狂シューティング「エイトフォース」の二大ダークフォースに支配され、当のテクモもかつての栄光はどこへやら、損益分岐点の極めて低いクイズゲームの量産と他社ゲームの代理販売をメインに日銭を稼ぐしょっぱいメーカーにまで落ちぶれていたのでした。
そんなテクモの凋落ぶりを救援しようと、1995年当時「がんばれギンくん」のブッ飛んだセンスに魅了されたわたくしと友人はせっせとにコインを注ぎ込む日々を過ごしておりましたが、絶対にワンコインクリア出来ない前提で作ってある守銭奴チックなゲームバランスもさる事ながら、右上のプレイ評価に「よわむし」「なきむし」はまだしも「喰われろ」と書かれた瞬間にわたくしの中で何かがプツンとはじけました。その瞬間、もうこのメーカーの応援なんてするもんか、と心に誓ったものです。



さてそんな悪い意味での期待を一身に背負った「デッド・オア・アライブ」が入荷したと聞き、「どんなヤバい出来なんだろう」と怖いもの見たさに友達を誘って行き着けのゲームセンターに突撃したわたくしは、我が目を疑う光景を目の当たりにしました。




可愛らしさ・格好良さを見事に表現した柔らか味のあるモデリング。
極めて流麗に動くキャラクター、爽快な打撃音と豊富な必殺技。
凝りに凝ったカメラワークと、それにピッタリとシンクロした熱い音楽。
コンボを叩き込む時はキャラクターを回りこむカメラワークが、勝利したキャラクターが一番映える位置まで一気に寄る。
ズームイン・ズームアウトのカメラワークで一世を風靡した「龍虎の拳」「サムライスピリッツ」でもここまでの表現はハードの性能上実現不可能だったのです。
それまでアーケード・コンシューマー共に主流を占めていた「オブジェクト・フロント・バックグラウンド」の画面構成で表現されていたものが、ポリゴンでも遜色無い表現が出来る。
2D格闘ばかりをプレイしていたわたくしにとって、1996年当時のゲーム暦で15年以上経過したヘビーゲーマーのわたくしでも、デモ画面の時点でこれだけの衝撃を与えた作品はほとんどありませんでした。
そして、それまで他社から発売された「バーチャファイター」「鉄拳」では掛け声や勝利ボイスも控えめだったのに対して、「DOA」の「有名声優を起用したキャラクター達が生き生きと喋る」というのは、それまでどれだけ3D格闘ゲームが頑張っても払拭しきれなかった「無機質さ」「マネキン臭さ」すら解消してしまったのでした。
その衝撃たるや、90年代の間中にベルトスクロールアクションや対戦格闘ゲームという当時の主流ジャンルで何一つ作品を出さずにミニゲーム集やクイズゲームでお茶を濁し続けていたテクモから、突然ここまでのクオリティのソフトが発売された事も含めてそれはそれは凄まじいものがありました。

アーケード版のポスターを見る限り、製品版では登場しないキャラクターが三人中二人もいる事から、発売ギリギリまでクオリティアップとチューニングに時間と技術と情熱を注いだと思われるのですが、ある雑誌内の開発者インタビュー内に於いて「会社の経営がヤバくて、これがコケたら後が無かった。デッド・オア・アライブというのは我々の置かれた状況を表す言葉でもあったんですよ」という言葉にも、そんな「DOA」に賭けるスタッフの熱意が滲み出ていて、いちプレイヤーのわたくしとしては、ただただ平伏するのみなのですが。
話をゲームシステム面に移しますが、本作のシステムは「バーチャファイター」のシステムを踏襲したものでありながら、ホールドボタンとデンジャーゾーンという新システムを盛り込み、「ホールドボタン一発で相手の攻撃を掴む・受け流せる」「デンジャーゾーンでダウンした相手は空中に吹っ飛ぶので、更にコンボを叩き込める」という新たな面白さを盛り込みました。
それまでの3D格闘プレイヤーは「ガードのつもりでホールドボタンを押せばガード+αの見返りが見込める。」2D格闘に慣れたプレイヤーは、「相手と逆方向にレバーを入れればとりあえずガードが出来る」という、どちらのジャンルに慣れたプレイヤーでもすんなりシステムに馴染む事が出来るというのは、物凄く良く出来たシステムだったと思うのですが、いかがでしょうか。
一般的にセクシー表現ばかりが話題になりがちなDOAシリーズですが、きちんとしたゲーム内容ゆえシリーズ化した作品という事を記憶の片隅にでも留めて頂ければ、今回こうやって何日もかけてエントリーを書いた甲斐があるというものなのですが…
個人的な感想で恐縮ですが、それまで3D格闘ゲームをほとんどプレイしていなかったわたくしも、暇さえあれば「デッド・オア・アライブ」をプレイする日々が続き、調子が良い時はかすみ・ティナ・バイマンで1コインクリア出来るまでやり込んだ後も情熱が冷める事は無く、サターン版(しかも限定版)・プレステ版まで購入したものの、アーケード版をどうしても手元に置きたい衝動が抑えられずに基板と24khzモニターまで購入してしまいました。



といいますのも、サターン版も大変良く出来た移植ではあったのですが、オープニングとエンディングが新規に作ったムービーに差し替えられてしまい、オープニングはなかなか素晴らしい出来だったもののエンディングは全キャラ共通のムービー+妙にしんみりしたバラード調の曲という大改悪をされてしまったからなのです。本編のポリゴンキャラクターを使ってOP・EDを魅力的に演出していたゲームだけに、これには相当に失望させられました。



クリアしたキャラクターのテーマソングをバックにテロップでエンディングストーリーを紹介した後、爽快なエンディング曲と共に流されるコンボ集が流れるという凝りに凝ったエンディングも、間違いなくアーケード版DOAの魅力のひとつだったのですから。

何はともあれ家庭用移植も大ヒットし、シリーズも「4」にまで継続するほどの人気シリーズになったDOAシリーズですが、テクモ経営陣と開発スタッフのゴタゴタによってシリーズ最新作の「4」から4年が経過した現在も続編の気配が聞こえて来ないのが残念でなりません。
シリーズのファンとしては、どんな形でも構いませんから、team NINJAの開発した「デッド・オア・アライブ5」が発売される事を祈りつつ、本エントリーを締め括りたいと思います。
…あ、実写版の映画とかは、もう勘弁ですから。



2009-08-10 22:39 |
カテゴリ:ゲーム
おひさしぶりです。会社の陰謀によって盆休みがわたくしひとりだけ2日間になってしまったみぐちゃんです。
それはそうとして、そういえば最近ゲーム関連のエントリーを全くしていない事に気が付きました。
とりあえず以前より個人的偏愛ゲームとして語りたいゲームが何個かストックされてきましたので、ここらでいっちょ語ってみようと意気込んでみたのはいいのですが、資料があちこちに散逸してしまって涙目の今日この頃。

この作品は以前エントリーで語った事があるのですが、あの当時の稚拙な文章力では語り足りないという理由で再度語りたいと思うのですよ。
ついでと言っては何ですが、文章のみでこの作品の魅力が伝わるかどうか不安な事もあり、参考資料として動画を作成しようと思い立ったのはいいのですが、model2基板という事もあって実機でのキャプチャーは断念。
仕方なくエミュレーターでの動画作成となってしまいましたが…
エントリー作成まではもうしばらくお待ち頂ければ幸いです。
それはそうとして、そういえば最近ゲーム関連のエントリーを全くしていない事に気が付きました。
とりあえず以前より個人的偏愛ゲームとして語りたいゲームが何個かストックされてきましたので、ここらでいっちょ語ってみようと意気込んでみたのはいいのですが、資料があちこちに散逸してしまって涙目の今日この頃。

この作品は以前エントリーで語った事があるのですが、あの当時の稚拙な文章力では語り足りないという理由で再度語りたいと思うのですよ。
ついでと言っては何ですが、文章のみでこの作品の魅力が伝わるかどうか不安な事もあり、参考資料として動画を作成しようと思い立ったのはいいのですが、model2基板という事もあって実機でのキャプチャーは断念。
仕方なくエミュレーターでの動画作成となってしまいましたが…
エントリー作成まではもうしばらくお待ち頂ければ幸いです。
2009-08-01 00:12 |
カテゴリ:おすすめ漫画
唐突ですみませんが
わたくし、B級グルメが大好きなんですよ。
そして、そんなB級グルメを語る漫画や文章も大好きでして、それもなるべく貧乏臭くてみみっちければみみっちい程好きなんですよ。
そういった漫画がどれ位好きかと申しますと、先日の引越しによって400冊以上の本を廃棄せざるを得なかった中でも、これらの本は思い入れが強過ぎて捨てられなかったぐらいです。



▲東陽片岡先生の「やさぐれ煩悩ブル~ス」より
まあこれはわたくしが一人暮らしをしていた時の一ヶ月の食費が一万円という大変な赤貧体験が長かった事にも起因するのですが。
そんな貧乏臭いB級グルメ漫画というジャンルで個人的に大好きなのが東海林さだお先生のB級グルメエッセイ集「○○の丸かじり」シリーズやビンボーサラリーマン漫画「ショージ君」、



そして泉晴紀×久住昌之両氏のコラボ作品としてビンボー生活のバイブルとも言える「ダンドリ君」


そして1987年に「ガロ」誌に掲載された「豪快さんシリーズ」の一編「嵐のカツ丼」は、わたくしがカツ丼を喰らう時のバイブルとして今でも心の奥底で輝き続けております。





そんな趣き深い作品を多々輩出していながらも、それまで掲載誌が「ガロ」などのマイナーなものが多かった為に、いまいちメジャーシーンに乗る事の無かった久住昌之作品ですが、1994年に月刊パンジャ誌で連載された「孤独のグルメ」が異例のロングランヒットを飛ばし、2008年には病院食を題材にした番外編を収録した新装版まで発売されました。


この「孤独のグルメ」が連載開始から15年を経た現在でも熱心なファンが多いのは、「孤独のグルメ」と銘打っていながら「行列の出来る名店」に行ったり「あれがダメ・これがダメ」という薀蓄をひけらかす漫画ではなく、一人で見知らぬ飲食店に入り、じっくりゆっくりと孤独と食事を楽しむライフスタイルに強烈に読者の共感を呼ぶものがあったからだと思うのです。
かくいうわたくしも「孤独のグルメ」の熱烈な信者の一人だったり。
さて、いつものように前置きが異常に長くなってしまいましたが、今回オススメする漫画は「孤独のグルメ」の久住昌之氏原作・水沢悦子氏作画の「花のズボラ飯」という作品です。

あらすじは「単身赴任中の夫を持つ主人公・花(ハナ)が、ズボラな主婦ならではのテキトーなご飯を作っていきます」(ハシラより抜粋)というものでして、ジャンル自体は「ズボラな主婦の手抜きレシピ漫画」というありふれたものでありながらも、軽妙な展開と可愛らしくてコミカルな作画と表情豊かな花さん(30歳)のキャラクターの立ちっぷりがロリ心をくすぐってなりません。

本作の魅力は、主人公・花さんのコミカルかつおまぬけな独り言と、「パート先でバカップルの非常識な言動に振り回されたり」「(花さんにとって)過酷な家事やダイエット」によって蓄積されたストレスを


「ズボラなひとりめし」によって昇華するカタルシスだと思うのです。








「孤独のグルメ」とはまた一味違った「読んでて心が温かくなる」新機軸の漫画だと思いますので、皆さん一度読んでみてはいかがでしょうか。
月刊誌に8ページ連載というボリュームで、単行本の発売が数年先というのがもどかしいところですが。
ところで、作画担当の水沢悦子さんについてですが、あれだけのセンスと画力を持っていながらそれまで代表作が全く無いのを不思議に思う方もおられるでしょうが、色々オトナの事情があるのです。


絵だけで作者さんが推察できたひとは、人様に公言出来ない雑誌を買っている事を自覚しましょうね。
…ああ耳が痛い。
わたくし、B級グルメが大好きなんですよ。
そして、そんなB級グルメを語る漫画や文章も大好きでして、それもなるべく貧乏臭くてみみっちければみみっちい程好きなんですよ。
そういった漫画がどれ位好きかと申しますと、先日の引越しによって400冊以上の本を廃棄せざるを得なかった中でも、これらの本は思い入れが強過ぎて捨てられなかったぐらいです。



▲東陽片岡先生の「やさぐれ煩悩ブル~ス」より
まあこれはわたくしが一人暮らしをしていた時の一ヶ月の食費が一万円という大変な赤貧体験が長かった事にも起因するのですが。
そんな貧乏臭いB級グルメ漫画というジャンルで個人的に大好きなのが東海林さだお先生のB級グルメエッセイ集「○○の丸かじり」シリーズやビンボーサラリーマン漫画「ショージ君」、



そして泉晴紀×久住昌之両氏のコラボ作品としてビンボー生活のバイブルとも言える「ダンドリ君」


そして1987年に「ガロ」誌に掲載された「豪快さんシリーズ」の一編「嵐のカツ丼」は、わたくしがカツ丼を喰らう時のバイブルとして今でも心の奥底で輝き続けております。





そんな趣き深い作品を多々輩出していながらも、それまで掲載誌が「ガロ」などのマイナーなものが多かった為に、いまいちメジャーシーンに乗る事の無かった久住昌之作品ですが、1994年に月刊パンジャ誌で連載された「孤独のグルメ」が異例のロングランヒットを飛ばし、2008年には病院食を題材にした番外編を収録した新装版まで発売されました。


この「孤独のグルメ」が連載開始から15年を経た現在でも熱心なファンが多いのは、「孤独のグルメ」と銘打っていながら「行列の出来る名店」に行ったり「あれがダメ・これがダメ」という薀蓄をひけらかす漫画ではなく、一人で見知らぬ飲食店に入り、じっくりゆっくりと孤独と食事を楽しむライフスタイルに強烈に読者の共感を呼ぶものがあったからだと思うのです。
かくいうわたくしも「孤独のグルメ」の熱烈な信者の一人だったり。
さて、いつものように前置きが異常に長くなってしまいましたが、今回オススメする漫画は「孤独のグルメ」の久住昌之氏原作・水沢悦子氏作画の「花のズボラ飯」という作品です。

あらすじは「単身赴任中の夫を持つ主人公・花(ハナ)が、ズボラな主婦ならではのテキトーなご飯を作っていきます」(ハシラより抜粋)というものでして、ジャンル自体は「ズボラな主婦の手抜きレシピ漫画」というありふれたものでありながらも、軽妙な展開と可愛らしくてコミカルな作画と表情豊かな花さん(30歳)のキャラクターの立ちっぷりがロリ心をくすぐってなりません。

本作の魅力は、主人公・花さんのコミカルかつおまぬけな独り言と、「パート先でバカップルの非常識な言動に振り回されたり」「(花さんにとって)過酷な家事やダイエット」によって蓄積されたストレスを


「ズボラなひとりめし」によって昇華するカタルシスだと思うのです。








「孤独のグルメ」とはまた一味違った「読んでて心が温かくなる」新機軸の漫画だと思いますので、皆さん一度読んでみてはいかがでしょうか。
月刊誌に8ページ連載というボリュームで、単行本の発売が数年先というのがもどかしいところですが。
ところで、作画担当の水沢悦子さんについてですが、あれだけのセンスと画力を持っていながらそれまで代表作が全く無いのを不思議に思う方もおられるでしょうが、色々オトナの事情があるのです。


絵だけで作者さんが推察できたひとは、人様に公言出来ない雑誌を買っている事を自覚しましょうね。
…ああ耳が痛い。
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